佐渡はかつて流刑の地であり、北前船の寄港地として多様な文化が交差した場所だった。現在も船でしか辿り着けない佐渡島は、外界と切り離されながらも、外部の影響を受け入れ、それを独自のものとすることで、豊かな芸能や思想が育まれてきた。数人の有志の手で立ち上げた芸術祭の基本理念「過去と未来の帰港地」は、過去の記憶をたどりながら未来を見つめることで、内省を促し、世界を捉える新しい感覚をもたらすことを意味する。
この理念には、佐渡の特異な歴史と文化を深く掘り下げ、新たな価値を創造しようとする強い思いが込められている。多様な文化の交流こそが、佐渡の豊かな芸能や思想を育んだ源泉であり、芸術祭を通して、その豊かさを現代に蘇らせたいという意図がある。
「帰港」という言葉には、船が港に戻るという意味だけでなく、訪れた人が原点に立ち返り、内省するという意味合いも込められている。過去を辿り、未来を見つめることで新たな発見や創造に繋げたいという思いがある。
佐渡島に根づく能楽や鬼太鼓は、伝統を継承するだけでなく、時代に合わせて変化し、進化を遂げてきた。現代アートもまた、佐渡の歴史や風土と向き合いながら、新たな表現を生み出している。これは単なる過去への回帰ではなく、未来に向けた創造的な試みとしての「帰港」であり、本土から隔絶された佐渡という島が、外部世界と交わりながら新たな文化を醸成する場となることを図っている。佐渡島で生まれた、革命家・北一輝は、日本の近代史に大きな影響を与えた。その弟であり、帝国美術学校の創立者でもある北昤吉もまた、新たな価値の創造に情熱を注いだ。芸術祭は、この二人が持っていた革新性と創造性を受け継ぎ、佐渡の地から新たな文化を発信する試みであると言えなくもない。単なる「訪れる(寄る)」場所ではなく、自己の内省と対話を促す「帰る場所」として、また芸術祭を訪れること自体が「帰港」体験となる「さどの島銀河芸術祭」は、アートを通じて自己と向き合う実験的な空間である。過去と未来が交差する「帰港地」であるこの芸術祭は、訪れる人々に時間や空間を超えた自己との対話を促すだろう。


