ローンチイベント 座談会レポート①

狭い意味での「アート」にとどまらない、けれど、アートに関わるかもしれない、全国のさまざまな地域で展開されているユニークな活動を知ろうと始まったプロジェクト、「daitai art map」。そのウェブサイトのローンチイベントが、2025年6月14日、東京都墨田区のスペース「京島駅」で開催されました。 2部制で行われたそのなかのトークでは、全国から集まったリサーチャーたちが、それぞれの現場で抱えている問題意識を共有するとともに、「代替?」「大体?」、いろんな意味に取れるこのプロジェクトへの向き合い方を語りました。その対話の模様を、前後編でお届けします。

座談会①
参加者:有馬かおる(ART DRUG CENTER/宮城)柴田祥子(久世げー/岡山)山本曉甫(インビジブル/福島)吉田盛之(さどの島銀河芸術祭/新潟)
モデレーター:卯城竜太

全国にある営みを可視化するマップ

卯城:みなさん、イベントに参加いただいてありがとうございます。座談会①の進行をやらせていただきます、卯城といいます。「daitai art map」の立ち上げについて初めに僕のほうから簡単に話せればと思います。

とはいえその理由はシンプルなものでして、アーティストとしての活動でいろんな地域を訪れるたびに、その土地で行われているさまざまな人の活動がめちゃくちゃ面白くて、本当に観るべきだなと痛感させられる事例がいくつもあったからなんです。自分が出会ってる範囲はものすごく狭くて、ほかにもどういう活動があるかを知ってみたかった。それが第一の理由です。

それから、僕はわりと日本の前衛美術の歴史に関心があって。2021年から、新宿の大久保寄りの場所でWHITEHOUSEというスペースを運営しているのですが、その建物は磯崎新さんの処女作とされる建築で、ネオ・ダダ・オルガナイザーズという1960年代のグループがたむろしていた場所だったんです。それであるとき磯崎さんの展示のカタログを見ていたら、当時、1947年から1974年まで、全国にどんなグループがあったか一覧するマップが載っていて、面白かったんですね。そして、こうした全国の動きはその延長線上にいま活発化しているのではないか、と。それを同時代の人間として見てみたいと思いました。

ただ、全国の営みをすべて、「中立的」にリスト化するのは不可能であることも、最初から感じていました。たぶん、全部を知っている人なんて誰もいなくて、みなさんそれぞれの目線で気にしているものがある。それならば、僕が各地で出会った方や、こうした動きに関心がありそうな方に声をかけ、そのリサーチャーの方々にあくまでも主観的な視点で紹介したい活動を取り上げてもらおうと。そうしたことで、このサイトに至っています。

卯城竜太

自分たちが生きていくために必要な活動

卯城:それでは、ここからみなさんにお話を伺いたいと思います。最初は福島県の富岡町から来ていただいた山本曉甫さんです。曉甫さんとは東京で知り合ったのですが、富岡のある浜通りエリアでもいろいろ活動されていて、僕らが企画立案した「Don’t Follow the Wind」という、帰還困難区域で行われている芸術祭の一部が一般公開された際にまたお会いしました。そのとき、浜通りでいまいろんな面白い活動が増えている、とお聞きしたんですよね。

山本:そうでしたね。自分が代表を務めているインビジブルというNPOは、本社はまだ東京に置いているんですけど、僕自身は4年前に富岡町に移り住んで、いまは9割ほどは富岡で生活しながら活動しています。そんななかで卯城さんに声をかけてもらって、ユニークな取り組みだなと思いつつ、何を選んだらいいのか、最初はすごく考えました。

山本曉甫

というのも、浜通りというのは東京電力福島第一原子力発電所がある地域です。僕が住んでいる富岡には、東京電力福島第二原子力発電所があります。そこにもいろいろアート的な活動が勃興してきている。ただ、とはいえ、まだ人口が少ないなか、震災から14年が経ったいまでも「復興って何だろう?」と問い続けないといけない状況があるし、現在も帰還困難区域の場所があったりして、いくつも課題があります。

そうした地域で始まった活動というのは、いわゆるオルタナティブなアートを標榜しているわけではなくて、もう少し、自分たちがいかに生きるかということを考えながらやっている活動なんですね。なので、そういうところなら紹介できるかな、と。あと、これまでさまざまな地域で活動してきたのですが、僕が選ぶのなら、浜通りに限定させてほしいということもお願いしました。それで今回、6つの活動を挙げさせてもらっています。

いま浜通りには、被災地として多額の復興予算が投じられていたり、一方で廃炉まではまだまだ長い時間がかかるという、難しい現状がある。ここで紹介した営みは、自分にとってはどれも、困難な状況はあれど、自分たちにはこういう場所や活動が必要だよねということを考えながらやられているものだと思っています。

卯城:ありがとうございます。続いて、柴田祥子さんです。柴田さんは2024年に、岡山県の県北の真庭市久世という地域で「久世げー」という芸術祭をやられました。これは、同時期に近くでやっていた「森の芸術祭 晴れの国・岡山」という、長谷川祐子さんがアートディレクターを務めた芸術祭へのカウンターというか、それに寄生したというか……。

柴田:両方です(笑)。

卯城:そういう面白い動きをされていまして。僕もトークに呼んでもらったんですが、リクリット・ティラヴァーニャの映像が柴田さんがやられているミニシアターで上映されていて、とにかく山間の小さな街だったので、妙な実験性を感じました。芸術祭の前からその「ビクトリィシアター」という映画館では映画祭もやられているんですよね。

柴田:今日一緒にきた河野文雄さんが代表を務めている「わっしょいボヘミアン」という会社がこれらの母体にもなっていて、私もそこで活動しています。ボヘミアンはエリアリノベーションを中心にした会社ですが、私が住む真庭市は中山間地域で、林業が盛んなんですね。そこで、地元の木材を使った製品をつくったり、その一部を「久世げー」の空間に活かしたりしています。

例えば、JR姫神線という汽車の路線の久世駅の前には、「エキマエ・ノマエ」というボヘミアンの事務所があります。ここも面白くて、半分だけ開放している、みたいな。普段は大体文雄さんがいるので、そこにいろんな人がふらっと訪れる場になっています。また、真庭に山崎樹一郎という映画監督がいて、ほかにも映像や音楽をやる人が何人か集まってきたので、2023年からは「ニューガーデン映画祭」という催しも始めました。

柴田祥子

卯城:芸術祭に訪れて面白かったのが、河川敷で爆音でアンビエントミュージックを流していて(笑)。近所迷惑なぐらいなんですけど、それがとても良かったんです。

柴田:河野さんの名言に「あ〜そぼ!」というのがあるのですが、久世では実際、形を問わず集まって、みんなで遊んだ結果、映画祭や芸術祭も生まれているんですよね。私はもともと東京の人間なんですが、5年前に仕事で真庭に移り、岡山をあちこち見ていると、県南の岡山市には商店街に人が集まる場所をつくる活動があったり、島には公害やハンセン病などの歴史を踏まえた活動があったり。移住者も意外と多くて、大きな意味での芸術に限らない、古い人も新しい人も関わる、地域性や暮らしに基づく活動が結構あります。

岡山で感じるのは、東京や大阪に比べると物や情報の流れはやはり少し遅いので、何か大きなことをしようというより、カルチャー好きな人たちが、自分たちが楽しみたいからイベントや活動を仕込んでいることが基本的に多いということ。今後、そういう活動も紹介できたらなと思いますし、私自身もつながりをつくっていきたいと思っています。

取り組みのスイッチと、「中央」「地方」をめぐる問い

卯城:吉田盛之さんは、佐渡島で2016年から「さどの島銀河芸術祭」をやられています。僕は、そのアドバイザーをしている批評家の椹木野衣さんを通じて盛之さんと知り合ったのですが、芸術祭はもちろん、島自体もとても面白いんですよね。盛之さんは商店街に自身でスペースも始められていて、今回は新潟の全域ということで紹介をお願いしました。

吉田:卯城さんからお願いのLINEが来て、僕でよければと返信したのですが、正直、新潟にはあまりオルタナティブな活動はないんですよね。そんななか、手前味噌なのですが、自分が佐渡の両津夷商店街でやっている「TAACHI」という現代アートギャラリーと、さどの島銀河芸術祭、そして「新潟絵屋」というギャラリーを紹介させていただきました。

吉田盛之

芸術祭の始まりには強い思いがあったわけではなく、新潟市でやっていた「水と土の芸術祭」の視察で椹木さんがいらっしゃったとき、居酒屋で「佐渡でも芸術祭できますかね」と軽いノリで聞いたら、「やったらいいんじゃないですか」と言われたことからスタートしたんですね。なぜそう聞いたかというと、僕は東京や沖縄、アメリカなどで活動してきたのですが、親の介護で佐渡に戻ったとき、そこに本当に寂れた商店街があって。ただ、以前住んでいたサンフランシスコでも1960年代からみんなが小さな営みをするというムーブメントがあって、これは島でもできるんじゃないかと常々、思っていたからなんです。

(写真を見せながら)これは2018年の芸術祭で、島民44人と島外の人44人の合計88人で「♾️」マークをつくり、一斉にシンバルを演奏し、その中央で日没とともに発光するダイビングスーツを着たBOREDOMSのEYEさんが水槽に浮かびながらコンダクトをするというライブのときの写真です。

このとき面白かったのが、終わった後、EYEさんに「ありがとうございました。ギャラが無くてすみません」と言ったら、EYEさんが「全然大丈夫。盛之くん、あとはどうなるか分からないけど、スイッチ、入れといたから。あとはどう作用するか分からないけど」と言って帰られたんです。そのときはよくわかっていなかったけど、今回のこういった活動の仲間に入れていただいたことも含めて、最近、その「スイッチ」の意味が分かってきたような気がしています。

卯城:盛之さんは音楽にも詳しくて、じつは今回、諸事情で掲載できなかったんですが、新潟のとあるダムでのレイヴの動きとかも教えてもらって、いろいろ知ることができました。

最後に、有馬かおるさんです。有馬さんは、いま石巻で「ART DRUG CENTER」というスペースをやられていますが、そこに至るまでも愛知や水戸など、いろんなところに移り住みながら場所をつくってきた、こうしたマイクロスペース的な動きの重鎮です。今回もいろいろ教えてもらいたいなと思ってお声かけさせていただきました。

有馬:ありがとうございます。声かけてもらって嬉しかったですよ。やっていて良かったと思いました。いま紹介いただいた通り、僕は1996年に愛知の犬山市で「キワマリ荘」というスペースを始めました。その後、キワマリ荘は2007年に茨城の水戸市、2017年には宮城の石巻市でも立ち上げられます。石巻では「Reborn-Art Festival」という芸術祭の一環で立ち上げたのですが、2年間自分で運営して、自立してから人にあげました。そのときに知人から声かけられて、キワマリ荘の近くに「アートは人の心を治療する薬である」という考えからART DRUG CENTERを立ち上げ、いまはそこの共同運営に関わっています。

有馬かおる

卯城:「人にあげた」というのが、よくわからない人が多いと思います(笑)。

有馬:自分でもよく分からないんですけど、毎回、自分が居心地のいいスペースをつくろうとしているんですが、最終的には人にあげているんですよ。なぜか引っ越しが重なるんですよね。最初の犬山も、もう30年になりますが、いまは4代目の人が運営しています。

今回僕は、その石巻のキワマリ荘やART DRUG CENTERをはじめ、東北で、ギリギリかもしれないけど、頑張って活動しているギャラリーを紹介しました。例えば、「山形藝術界隈」という運動体の広報として関わっている山形の「famAA」とか、東北で面白い人の多くが展示をしている岩手の「Cyg」とか。あと、秋田の「オルタナス」というのは、秋田公立美術大学の人たちがつくったスペースなんですが、活動を始めるときに石巻にリサーチに来てくれて。そのとき「無理せずやればいいんじゃない? とにかく続けることだけが重要だから。続けていればチャンスはある」と話したんですが、最近「無理せずいまもやってる?」って聞いたら、「はい」って返事が来たので嬉しかったというスペースです。

あと、仙台の「ギャラリー ターンアラウンド」は、仙台で現代アートに進もうと思ったらすごく重要な場所です。仙台は東京も近いので、みんなメインが東京になることが多いんですが、ここは地元愛に溢れる活動をしています。ただ、本当はターンアラウンド1択ではなく、それを否定する新しい場所も生まれてほしくて。それで2択、3択くらいになると面白いし、山形や秋田には芸術大学があるのだから、そういう活動がもっと出てきておかしくない。そう思っていたら、最近さっきの小さい芽が出てきたので嬉しいんです。

その流れで言うと、山形や秋田の芸大は結構、民藝とか民間伝承とか、東京ではやらないような大地や土地の要素を掘り下げる活動を多くしていて。それに対して、daitai art mapのあり方もどこかで民藝的というか、フォークアート的な部分があって、そうしたものとの距離感を含め、どの辺を目指していくんだろうなというのは気になったんですよね。

卯城:さっき打ち合わせのときに有馬さんからその話を聞いて、僕は民藝のことは詳しくないんですけど、なるほどなって思って。まだそこは自分でわかっていませんが、気をつけたほうがいいと思ったのは、民藝もそうかもしれないけど、民藝とはこうあるべきというモデルのようなものでができて、みんな似たようなスタイルになっちゃうことだとは思っています。

有馬:そうそう。僕、いま情報源がほぼYouTubeなんですが(笑)、町おこし系のものを見ると大体、民藝で町おこしというのがあって。ただ、土地の土は個性的なはずなのに、ラッピングでみんな同じ色になっちゃうんです。それはなぜか、という問題がある。

あともう一つ、こういう「地方」と「中央」の話をしていると、石巻とかだと「宮城という地方では」ってみんな話すんですよ。でも、僕は、僕らが石巻で語るときは、「ここ」が石巻であって、東京が地方なんだという意識を持とうって言うんです。そうじゃないとすごい変なバイアスがかかるし、なぜか一回関東まで行って、戻ってきた目線で地元を見るというおかしなことになる。その意識をいかに消すのかというのも、課題ですね。

活動の「運営」の仕方の複数性について

卯城:ここからはディスカッション的に、どんどん発言していただきたいのですが、最初に僕から話すと、さきほどの民藝的という指摘は、権威の構造に気をつけないといけないということだと思うんです。たしかに、僕もこの活動を始めるにあたり、「民藝」とはとらえていなかったですが、そうした危うさとセットだとは感じていて。ただ、正直、どんな活動があるのかを知りたい、見てみたいという欲望があったというのが本音です。

これには原体験があって、今回、サイトのキービジュアルをつくってくれたり、「daitai」という言葉を提案してくれた高橋喜代史さんという人がいるんですが、彼が「札幌駅前通まちづくり」という会社と共同で「Think School」というオルタナティブなアートスクールというか私塾をやっていて、僕も講師で呼んでもらっているんです。札幌には、近年は芸術祭もできたけど、現代アートに特化した美術館や美術大学を名乗る大学はない。そういうなかで高橋さんは札幌駅の近くの「札幌大通地下ギャラリー500m美術館」にキュレーションで入ったり、いろいろしているんですが、この地域で活動していくうえで重要なのは私塾だと言うんですね。

その私塾には制作コースと企画コースがあって、僕は両方とも携わっているのですが、とくに後者から面白い動きが多く生まれているように感じたんです。例えば不動産勤務だった受講生が大きな缶詰工場を借りて、「なえぼのアートスタジオ」というシェアスタジオを始め、そこに超老舗のアーティスト・イン・レジデンスとか弁護士事務所とかが入って、私的な寄り合いがたまに開かれるようなコンプレックスになっていたり。あるいは室蘭に、旧絵鞆小学校という、2棟の円形の廃校があるのですが、自治体が耐震さえしっかりしてくれればしばらくはタダで貸すといったことで、クラウドファンディングを成功させた団体がいて、そこを会場にした「Muroran Art Project 鉄と光の芸術祭」というプロジェクトを立ち上げる人がいたり。

とにかく一つひとつがユニークで、正直、僕は作品よりも、むしろそうした活動がそれぞれどんなふうに運営されているのか、その違いを見るほうが面白いと感じたんですね。資本主義的に考えたら、会社のやり方とかまちおこしの仕方とかって、何かマニュアルがあるようなイメージを持たれがちだけど、僕もスペースをやっていると、そこでしかできない運営の仕方をみんなしていると思うんですよ。そうした運営の具体的な例を、とにかくたくさん知りたいと思ったというのが、この活動の大きな動機としてはあります。

みなさん、他の方の話を聞いて何か感想はありますか?

吉田:話を伺っていて、佐渡って島じゃないですか。陸続きの本州に比べてさらに田舎というか、中央ではない場所で。それで言うと、有馬さんの「ここが石巻で、東京が地方」という意識の話はグッと来ましたね。佐渡もそうなってほしいですけど、佐渡の場合は最初に見るのは対岸の新潟なんです。そして、新潟は東京を向いている。そうした構図のなかで、せっかくいいものがあるのに吸い取られてしまっているという感じはあります。

佐渡では最近、史跡の佐渡金山が世界文化遺産登録されて、報道ではインバウンドも含めて観光が盛り上がるってことになっているんですが、実際は盛り上がっているのは金山に関連したエリアの島の一部だけで、海外の方もあまり増えていないというのが肌感で。そうしたなか、有馬さんが「やり続けることだけが重要」と言われましたが、僕もそう思っていて、佐渡で手弁当で芸術祭をはじめて9年になると、商工会の会長がいきなり電話してきてくれて、最近購入した古民家があるけど吉田さんたち何か有効活用しませんか、みたいな話をいただくことがあるんですね。ほかにも、ビルを無料であげるから、頼むからもらってくれないかとか。

卯城:盛之さんのやっているTAACHIもめっちゃめちゃ広いんですよね。

吉田:あそこも10万円で売ってもらって。固定資産税も高くないので、最近、同じように東京のアート関連の方などが佐渡に注目して、空き家を探して何か始めようとする動きも増えています。

山本:さっきの卯城さんの話で言うと、このマップはリサーチャーの顔が見えるじゃないですか。「現代アートギャラリー」のような業態によって選ばれているのではなく、そこがどういう成り立ちで、個人のどんな思想があるかなど、外からは見えにくい、でもリサーチャーにとっては重要な理由で選ばれている。そこが一つのポイントだと思っていて。

先日、福岡の天神で1980年代から活動されてきた宮本初音さんというアートコーディネーターの方に福島でトークをしてもらったのですが、「アートと社会という対比で語られることにずっと違和感があり、アートも社会の一部だろうと思っていたけど、最近はちょっとはみ出して、アートってとりあえずなんでも括れるから、社会のちょっと先のことをやるのがアートだと思えば違和感がなくなった」という話をされていたんです。僕はこの温度感がいいと思っていて。

実際、僕は今回、いわゆるアート以外の活動も選んでいます。例えば、浪江町を拠点としている「NOMA VALLEY」は、相馬藩藩主の末裔の「殿」こと相馬行胤さんと、外務省やマッキンゼーで働いていた経歴を持つ高橋大就さんが中心となり、「この地から、真の自律と共生を。」というヴィジョンのもと、人と馬と自然とが共生する自律的なコミュニティづくりを軸に、「藩校」と称した学びの場や、NFTを活用した会員制度など、とてもユニークな活動をされているんですね。こうした活動は、何かを「作品」として打ち出しているわけではないので、もしかしたらアート業界の人は興味ないかもしれないけど、僕はこういうこともまた「アート」って呼ぶべきなのではって思うんですよね。

卯城:紹介を読んで、羨ましいくらいに面白かったです。

山本:なので、かなりリサーチャーの思想が出ますよね。それがもしかしたら、さっきの民藝的な中心性に回収されないためのポイントなのではないか。アートという既存のカテゴリーのなかで選ぶのではなく、他の人から見たらアートじゃないじゃんって思うものも入るマップになっていくと、中央的な語りに回収されにくいのではないかと思います。

「アート」の枠を外し、土地のなかにある文化をまなざす

柴田:私も、いま山本さんが言ったように、今回、「daitai=大体」であることがすごく気が楽だったし、このプロジェクトの本質なんだと思います。そして、それぞれの活動ごとに運営の仕方とか土地性が出るのは、本当にその通りだと思うんですよね。真庭も佐渡とちょっと近いところがあって、山に囲まれているので、物理的に移動がとても難しいんですよね。だから人も減るし、不動産もキープするのが大変。でも逆に、そこを使ってみたいという話があったりもする。何かをやる前提が都会とは全然違うんです。そういうローカルで、他の人がどんな運営の仕方をしているかというのは、私も知りたいです。

あと、アート的なものに対する感覚も、その土地や個人ごとに全然違う。私は非言語の表現で人がつながることを大事にしたいと思っていて、真庭で何かをやりたいと思っているけれど、そこで「アートは……」って話すと重いんですよね。つい話したくなるんだけど、「アートって何?」となってしまう。でも伝えたい本質はそこじゃないわけです。

卯城:だから、僕、トークに呼ばれて活動を見せてもらったとき、「何を語ればいいんですか? 僕の活動がどうとかってより、もうこれでいいと思うし、そのことを話したほうが面白いんじゃないですか?」と思ったんですよね。先ほどの河野さんがヴィンテージ座布団のコレクターで、それをたくさん川縁に敷いて、夕暮れから夜になるまでアンビエントを聴いて……って、翌日トークだったんですが、自分の話をする意味が大きいとは思えませんでした(笑)。

柴田:私自身も真庭に移ってアートへの考え方がすごく広がったところがあって。山に暮らしている方の話は普通に面白いとか、私は普段は役所で働いていて、やっぱり保守的な人も多いんですけど、話してみるとめちゃくちゃ個性が際立っていたりするとか。暮らしのなかにそういう場面が多くあって、それはもう表現だし、それでいいんじゃないかと思ったりするんです。

山本:わかります。僕、いまアーティストの宮島達男さんが自らの人生を賭けて富岡に美術館をつくろうとしている「時の海 - 東北」プロジェクトの応援をしていて。その一環で富岡に「月の下アートセンター」という小さなアートセンターを立ち上げたのですが、そこで面白かったのが、地域のなかでそうしたカルチャーの話がしたくて仕方なかった人がたくさん現れるんです。

幼少期から絵や演劇や建築が好きで、大学進学や就職を機に一度東京などに出たけど、家業なんかで地元に戻ったら文化的な話をする機会があまりない。そんなかで月の下アートセンターに来ると、町内外からいろいろなバックグラウンドを持つ人が集い、語りの場が生まれ、さらに別の日には前回そこで会った人がまた別の人を連れてきて…...と、文化的な話をする機会が育まれていく。なので、文化的な体験を共有できる「たまり場」のような場所をそれぞれの地域でつくることの可能性や有効性を、日々の活動のなかで感じるところです。

卯城:最後に有馬さんにも聞きたいんですけど、僕も「続けていくことだけが大事」という言い方が非常に面白いと思ったし、有馬さんのお言葉だからこそ重いなと感じました。というのも、一方には、「ただ続けること」が目的化することは良くないという価値観もあるからです。そうしたなかで、有馬さんが「続けていくことだけが大事」といった確信をお話しされると、とても意味深に思えたんですが、もう少し突っ込んでお話しいただけますか?

有馬:僕には2種類の美意識というか哲学があって、ひとつは「不足を補うもの」としての哲学、たとえば支配構造や目的の不足を埋めるためのものです。そして、もうひとつは「すでにあるものに感謝する気持ち」で、僕はその両方が大事だと思っている。うまく言えないのですが、「続けていく」ことも自分のなかでここに関係していることなんです。

それで、つながるかわからないけど、座禅って2パターンあるらしいんです。瞑想系のものと、ただ座るものがある。瞑想系は、悟りたいとかリラックスしたいとか目的を伴うんですが、道元系のものはただ座ることを永遠にやる。例えば即身仏も、あれは死んでいるけど座るという行為はやり続けているわけですね。僕はあの状態が究極だと思っていて、生きているなかでああいうことができないかと思って、活動を続けているんです。

執筆:杉原環樹
撮影:金川晋吾